『Sounds of summer』再発盤を聴いて
現在、新品レコードの定価が4~5千円台になってきていて、下手するとBeatlesの英国オリジナル盤のVG+程度と変わらなくなってきている。
これは喜ぶべきではないものの、昨年からのエネルギー、物価高騰の影響がレコード産業にも波及しているからだと思う。
さすがに影響を受けない分野はない気がするが……。
そしてそれは一過性のものでないとも思っている。
新品の値段はこのまま継続と言うか、定着するのではなかろうか?
よっぽどの円高による輸入盤の価格下落でも起きない限りは…。
で、そんな中、売れ残り品に福があると思って、バーゲン価格で購入した新品レコードがいくつかある。そのうちの1枚がこれ、
『Sounds of summer』、昨年再発されたBeach Boysの編集盤だ。

*再発にあたり音源が変更されている
以下はあくまで僕独自の所感・雑感であって、同意しない人もいて当然だろうとは思うが、こういう視点で音を聴いている者もいるということを伝えておこうと思った。
僕が買ったのは2LPセットだが、CD3枚組や6LPセットも同時に発売されている。
CDの価格は正直、調べてないので何とも言えないが、アナログレコードはかなり高価な価格設定だった。
だから当初から全然買う気なんて無かったのだが、とある店でバーゲン価格になり、内容よりも割安な気がして飛びついてしまった(苦笑
この2LPセットそのものは、1962年の「Surfin' Safari」から1988年の「Kokomo」まで30曲をレーベル横断的に収録している。
とは言っても、ほとんどの曲が1960年代で、それ以外は5曲しかない。
『Sounds of summer』と言うタイトルではあるが、個人的にはBeach Boysの代表曲をまとめ上げたものと言う印象が強い。
だから、ほぼほぼ60年代の曲になるのも頷ける。
そして、昨年の再発での目玉は音源の変更にあって、多くの曲が2021年のリミックス・ステレオを採用している。
で、僕にとっては困った話になるのだが、その2021年リミックス・ステレオは正直あまり面白みがない。
どういうことかと言うと、ステレオのキャンバスを端から端まで使い切れていないのだ……。それに加え、Beatlesのリミックスに似て、やたらと低音域を強調している。
ところが、中にはキャンバスを端から端までしっかりと使ったミックスの曲もあって、これはなかなか良い!と思ったら、2001年ミックスだったり、1996年ミックスだったり……あるいは、それほど低音域が強められていないものがあって、これは音が良いしミックスも良い!と思ったら、そもそもリミックスでないオリジナル・ステレオミックスだったり(苦笑
ネットが普及して一般の人の意見を目にする機会が増えたのは今世紀になってからだと思うし、たぶんここ15年ぐらいの話かなと思うけれど、その中で僕が奇妙に思えていたのは、「ステレオ・ミックスのセンターにはボーカルとドラム、ベースが定位しているべき」みたいな、何と言うか、ステレオであるにもかかわらずまるでモノラルみたいな定位しか認めない論調のものを目にする機会が増えたという事。
中にはとんでもないのがあって、ボーカルが弾くギターが右チャンネルから聞こえるのはおかしい!みたいな……(笑
なんだろう?弾き語りの一発録音ならわかるけど、本来多重録音なのだから、そうならなくても何の不思議もないにもかかわらず、そのような乱暴な意見が出てきたりする。
それって、ライブには多く足を運ぶが録音作品にあまり接していないのではないか?と思えてしまう。
どこに何の楽器を定位させようが、どういうサウンドを生み出そうとしているかは、歌手・グループや制作側の狙いであり、イメージを形にした結果なのだからそれを受け入れて楽しめば良いだけで……。
で、その言葉は、確かに僕自身にも当てはまるのは重々承知だ。
『Sounds of summer』再発盤が、ステレオとモノラルの間を狙ったものならそれを受け入れれば良い。
とは言え、それならば、01年リミックスや96年リミックス、あるいはオリジナル・ステレオ・ミックスも左右の定位をより中央寄りに変更して収録すれば良いものを、と思えてしまうわけで……それぐらいの修正は簡単にできるからだ。にもかかわらず、やっていない。
要するに、そう言う意図ではなくて、これまでステレオ・ミックスが存在しなかった曲やリミックスが存在しなかった曲を新たにリミックスしているのだろう。その新規リミックスが僕には"自由でない"ミックスに聞こえてしまうわけだ。

*近年よくあるチェコ・プレス
そもそもステレオミックスって、左右チャネルいっぱいいっぱいの広いキャンバスを使えるのだから、もっと自由なミキシングが可能だ。
それを現代のエンジニアはうまく描けないだけなのではなかろうか?
そして同様に、現代のリスナーもモノラル的な音像しか受け入れられないのかな?とさえ思えてしまう。
何故なら、まともにスピーカーを配置して、ある程度の音量で聴けるリスナーよりもイヤホンやヘッドホンで聴いて育ったリスナーの方がもしかすると比率が高い可能性もあるからだ。
それでは残念ながら、まともにステレオ空間(=キャンバス)を思い描くことなんてできなくて当然か。
でも、前述のコメントのような了見の狭さから判断すると、それだけでない気もしている。余裕の無さ、つまり、心の問題のような……。
話が大きく飛躍してしまうかもしれないが、僕はどちらかと言うと(これは音楽だけに当てはまる話ではない気がするが)今の時代のリスナーの多くが、実のところ、想像力を欠如している気がしてならない。
それが理由で、ステレオという空間に描かれたサウンドを受け入れる器が育っていないのではなかろうか?とさえ思えてしまう。それが2000年代以降の世の中なのではなかろうか?と。
あるいは、2021年という特異な時期が原因なのかもしれないが。
『Sounds of summer』の2021年リミックスはある意味、その一例と言えるのではなかろうか?
これは喜ぶべきではないものの、昨年からのエネルギー、物価高騰の影響がレコード産業にも波及しているからだと思う。
さすがに影響を受けない分野はない気がするが……。
そしてそれは一過性のものでないとも思っている。
新品の値段はこのまま継続と言うか、定着するのではなかろうか?
よっぽどの円高による輸入盤の価格下落でも起きない限りは…。
で、そんな中、売れ残り品に福があると思って、バーゲン価格で購入した新品レコードがいくつかある。そのうちの1枚がこれ、
『Sounds of summer』、昨年再発されたBeach Boysの編集盤だ。

*再発にあたり音源が変更されている
以下はあくまで僕独自の所感・雑感であって、同意しない人もいて当然だろうとは思うが、こういう視点で音を聴いている者もいるということを伝えておこうと思った。
僕が買ったのは2LPセットだが、CD3枚組や6LPセットも同時に発売されている。
CDの価格は正直、調べてないので何とも言えないが、アナログレコードはかなり高価な価格設定だった。
だから当初から全然買う気なんて無かったのだが、とある店でバーゲン価格になり、内容よりも割安な気がして飛びついてしまった(苦笑
この2LPセットそのものは、1962年の「Surfin' Safari」から1988年の「Kokomo」まで30曲をレーベル横断的に収録している。
とは言っても、ほとんどの曲が1960年代で、それ以外は5曲しかない。
『Sounds of summer』と言うタイトルではあるが、個人的にはBeach Boysの代表曲をまとめ上げたものと言う印象が強い。
だから、ほぼほぼ60年代の曲になるのも頷ける。
そして、昨年の再発での目玉は音源の変更にあって、多くの曲が2021年のリミックス・ステレオを採用している。
で、僕にとっては困った話になるのだが、その2021年リミックス・ステレオは正直あまり面白みがない。
どういうことかと言うと、ステレオのキャンバスを端から端まで使い切れていないのだ……。それに加え、Beatlesのリミックスに似て、やたらと低音域を強調している。
ところが、中にはキャンバスを端から端までしっかりと使ったミックスの曲もあって、これはなかなか良い!と思ったら、2001年ミックスだったり、1996年ミックスだったり……あるいは、それほど低音域が強められていないものがあって、これは音が良いしミックスも良い!と思ったら、そもそもリミックスでないオリジナル・ステレオミックスだったり(苦笑
ネットが普及して一般の人の意見を目にする機会が増えたのは今世紀になってからだと思うし、たぶんここ15年ぐらいの話かなと思うけれど、その中で僕が奇妙に思えていたのは、「ステレオ・ミックスのセンターにはボーカルとドラム、ベースが定位しているべき」みたいな、何と言うか、ステレオであるにもかかわらずまるでモノラルみたいな定位しか認めない論調のものを目にする機会が増えたという事。
中にはとんでもないのがあって、ボーカルが弾くギターが右チャンネルから聞こえるのはおかしい!みたいな……(笑
なんだろう?弾き語りの一発録音ならわかるけど、本来多重録音なのだから、そうならなくても何の不思議もないにもかかわらず、そのような乱暴な意見が出てきたりする。
それって、ライブには多く足を運ぶが録音作品にあまり接していないのではないか?と思えてしまう。
どこに何の楽器を定位させようが、どういうサウンドを生み出そうとしているかは、歌手・グループや制作側の狙いであり、イメージを形にした結果なのだからそれを受け入れて楽しめば良いだけで……。
で、その言葉は、確かに僕自身にも当てはまるのは重々承知だ。
『Sounds of summer』再発盤が、ステレオとモノラルの間を狙ったものならそれを受け入れれば良い。
とは言え、それならば、01年リミックスや96年リミックス、あるいはオリジナル・ステレオ・ミックスも左右の定位をより中央寄りに変更して収録すれば良いものを、と思えてしまうわけで……それぐらいの修正は簡単にできるからだ。にもかかわらず、やっていない。
要するに、そう言う意図ではなくて、これまでステレオ・ミックスが存在しなかった曲やリミックスが存在しなかった曲を新たにリミックスしているのだろう。その新規リミックスが僕には"自由でない"ミックスに聞こえてしまうわけだ。

*近年よくあるチェコ・プレス
そもそもステレオミックスって、左右チャネルいっぱいいっぱいの広いキャンバスを使えるのだから、もっと自由なミキシングが可能だ。
それを現代のエンジニアはうまく描けないだけなのではなかろうか?
そして同様に、現代のリスナーもモノラル的な音像しか受け入れられないのかな?とさえ思えてしまう。
何故なら、まともにスピーカーを配置して、ある程度の音量で聴けるリスナーよりもイヤホンやヘッドホンで聴いて育ったリスナーの方がもしかすると比率が高い可能性もあるからだ。
それでは残念ながら、まともにステレオ空間(=キャンバス)を思い描くことなんてできなくて当然か。
でも、前述のコメントのような了見の狭さから判断すると、それだけでない気もしている。余裕の無さ、つまり、心の問題のような……。
話が大きく飛躍してしまうかもしれないが、僕はどちらかと言うと(これは音楽だけに当てはまる話ではない気がするが)今の時代のリスナーの多くが、実のところ、想像力を欠如している気がしてならない。
それが理由で、ステレオという空間に描かれたサウンドを受け入れる器が育っていないのではなかろうか?とさえ思えてしまう。それが2000年代以降の世の中なのではなかろうか?と。
あるいは、2021年という特異な時期が原因なのかもしれないが。
『Sounds of summer』の2021年リミックスはある意味、その一例と言えるのではなかろうか?
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